愛のコリーダ

2006年7月8日
これは、本当に美しい映画です。
日本では、公開当時、色々大変で、ぼかしがすごすぎて、なにをやっているのか全然分からないようなものにしてしまいました。
大島監督も、かなりお辛かったのだろうとお察しいたします。

ところが!
2000年になって、芸術として、出来る限りぼかしを取り払い、カットされたシーンも復活させて、大変な作品だったことを人様に分かっていただけるようになりました。

その中でも、やはり藤さまの演技は、大変なものです。
さださんが、ムリなことを求めてきても、にっこり笑ってつきあってくれるのです。
しかし、時代は昭和11年のこと。
戦争が激しくなるちょっと前のことです。
私めの大好きなシーンがありまして、それは着流し姿の藤さまが路地を歩いていくと、反対から、兵隊さんの一行が、黙って行列で、軍隊の行進を歩いてくるのです。
そして、その路地の端には、日の丸の旗を振る子供たちが、やはり黙って見送っています。
その子供たちとは反対の端を、まるで身を隠すように歩くシーンです。
戦争へ行って、死ぬのと、愛する女のために死ぬのと、どちらを選ぶか?
自分はどっちみち、そう長くは生きられないだろうから、可愛そうな女のために死のうとはっきり決めた瞬間のシーンです。

藤さまが、トーク番組に出た時、この映画の話になって、
「果てしなくラブシーンが続くんだけれど、その先にとても美しいモノが見えた
それは本当にピュアな純愛だったと、作品を見て気が付いた
本当に出てよかった」
とおっしゃり、さらに、藤さまが、「このシーンがあったから、出演しようと思った」
というのが、私めが常々思っていた、兵隊さんとのシーンだ!!!とおっしゃってくださったんです!
それにそのシーンのイミも、全く同じだったので、私め、大変感動してしまいました。
約1ヶ月半かかった撮影の間に、8キロもウエイトダウンしてやったというのも、この映画を信じたから、お出来になったのだと思いました。
サダさんのあの激情した愛を、優しく受け止めてあげる藤さまは、本当に美しかったです。
この映画の凄まじい純愛は、死をも忘れる、いえ、死を超えていたのでしょう。

しかし、そういう愛があることは、素晴らしいと思っても、私はサダさんにはなれないっ!!(>◇<)
ところがあります。
それはラストに藤さまが亡くなった後、性器の部分を切り取って、それを持って歩いていたところで捕まるわけですが、そこが私には出来ないと思ったところです。
私だったら、切り取ったあと、食べてしまうと思ってしまうのでございました。
そこが、サダさんの強さなんでしょう。
お勤めを果たして、サダさんは、ずっと生き続けたのですから。

この映画は、今DVDソフトで観ることができます。
さすがは大島監督!
監督の作品のDVDには、チャプターが一切ないのです!!
一本の芸術を、勝手に切られるのは、気に入らない!という訳で。
私も、この作品は、一気に観ないと、気がすみません。
こんな壮絶な純愛が、かつて本当にあったということが、喜びに思えてしまうような作品です。

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